最近、また自分の置かれた枠組みについて考えている。
帰国者の報告会があったり、近々これまでの活動を総括して残る任期について話し合う場が持たれる予定があるので。昨年ODAの視察団も来たし、たぶん他の人より制度全体への関心は強い。ここに来たこと自体、第一には海外の都市建築プロジェクトに参加したいということだけど、第二の目的はひとりオンブズマンとして国民の税金が有効に使われているか身をもって検証することにある。
着任半年くらいの頃は、40年以上に渡ってアフリカへの援助が行われていながら、アフリカの貧しい国々は援助漬けになり、自立する気配もないのだから、チュニジアのような中進国が先進国入りを果たすのに手を貸す方が外交政策上有効なんじゃないかと思ったものだ。1年以上活動してきて、援助のあり方というのは難しいと痛感する。建前は途上国の要請に基づいて日本は指導、助言を与える専門家を派遣しているのだが、実際の現場は日本の援助がなくてもそれなりに回っていて、日本人に教えを請うという姿勢はほとんどない配属先が多い。で、何をしてくれるんですか?という受身ならまだましで、何しに来たの?とか指導をしに来たんじゃなく何か学びに来たと全く逆の認識で日本人を置いてあげているというような雰囲気の配属先もあるようだ。何度か報告会を聞いたり、話しを聞いた印象ではチュニジアのボランティア事業の6割は税金の無駄遣いなんじゃないかという印象。世界では少なく見積もっても半数はうまく機能していないのではないか?(53カ国約3500人中)
何故こんなことになっているかというと、案件の形成がいかげんというか、精度が低過ぎる。要請から派遣まで1年前後かかるタイムラグの為に配属先ともミスマッチが起こると言われているが、システムフローに問題が山積しているように見える。普通、奨学金や助成金を受ける場合、受給者は定期報告が義務づけられるものだが、配属先からそのようなフィードバックを直接書面で受けるしくみがない。だから受入側の意識、責任が希薄で体制も整っていなったりする。その上、2ヶ月程度の語学研修じゃ仕事で即戦力となる語学力など身に付いてない場合も多く、最初の肝心な時に言葉ができないとなめられたり、相手にされないことに繋がる。案件形成時にやっておくべき配属先の組織図や予算規模の調査が赴任後に確認することになっている。そんなことだからカウンターパート(一緒に仕事をし、技術移転をする相手)がいない場合すらある。職務や役割についてきちんと書面で契約を交わしていないので、配属先が立場を理解しておらず、噛み合ない。
一方、活動が思うように進まず、過去の蓄積を参照しようとしても、活動成果を蓄積したり共有するしくみがない。派遣実績四十数年、累計何万人と言ったところで、それはただの数字で、現場は一人で悩み一人で解決するということが延々と繰り返されているだけ。だから現場の経験は他国の活動や後進に生かされないし、フィードバックがないから途上国はいつまでたっても自立できない。もちろん途上国側の問題もあるし、一部の職種ではマニュアル化が進んでいるものもあるにはある。
そこで手っ取り早い解決策として「ボランティア」という言葉をやめたらどうかと思うのである。一般国民は外交政策としてODAがあり、途上国への技術協力の実施機関としてJICAがあり、ボランティア事業が位置づけられているのだから、先進国の責任として、日本のプレゼンスを維持するのに途上国支援に税金を支出するのはやむを得ないと思うし、現場は綿密な開発計画の元に統括され、多少内部事情を知った者なら、現場の活動を統括するのが調整員であり、現地事務所であると思うだろう。さらに事情通なら調整員は専門知識がないから、本部に専門セクションがあって、常に連絡を取り合って事業を進めているものと思うかもしれない。しかし、実際の活動は現場の個人に丸投げで、誰もそれに口をはさむものがいない。何故か?途上国への技術援助と位置づけながら、同時に国民のボランティア活動を支援すると事業とも位置づけられていて、運用は後者、勝手にやってくださいということになっているからだ。
途上国への技術協力ということなら、きちんと「仕事」として位置づけて組織として体系的、戦略的にするべきだ思う。その方が、相手の受け取り方や権限も明確になる。そもそもJICAのボランティアは社会通念上のボランティアとは違う。一般的なボランティア活動の現場では、例えば薄謝がでるような介護ボランティアなど、有償ボランティとカテゴライズされたりする。何故途上国への技術指導は「仕事」として位置づけられないのか?一つは報酬の問題。ボランティは建前上無報酬で、生活費の支給がある。実質的な所得として比較すると調整員はボランティアの5倍程の所得、正社員は5〜10倍だろうから、同じ給与体系では説明がつかないのではないか。(労働基準法にも抵触?)
もうひとつはこの事業の起源から続く体質。つまり1965年からはじまった途上国への派遣事業は青少年育成、国際的に活躍できる人材の育成といった意味合いが強かった。1ドル360円で裕福な人しか海外に行けなかった時代には大きな意味があったと思う。しかし、今や誰でもちょっと頑張れば簡単に海外旅行ができるし、留学する人も多い。途上国を援助するNGOもたくさんある。時代の変化に応じてJICAは組織の再編や名称の変更とともに事業の位置づけも変えてきているのだが、今一度、税金でやるべきことはなんなのか?明確にして国民に問うべきだと思うのである。体制側だけでなく応募者側にも「協力隊」への独特の思い入れを持っている人がいるので、このへんの合意形成が実は難しい気がする。
たぶん、途上国支援ということに理解を示す人は多いとしても、ボランティアをしたい人を税金で支援しましょうってことに理解を示す人は少ないんじゃないかな? いっそ、こういう不景気に邦人の雇用対策ですって位置づけた方が理解が得られるかもしれない。語学学校を潤す教育訓練給付金制度や1万二千円の定額給付金制度より2年間収入の心配をしなくてよい制度の方が支持されそう。
とりあえず現場の感覚から言うと、選考を厳しくして人数を半減させ、案件形成の精度を上げ、予算は1件あたり倍にして、研修やフォローの体制を強化、ノウハウを蓄積共有するしくみを整え、予算規模や派遣数を競うのではなく、途上国にどんな成果がもたらされたのかを問う評価軸を確立するべきだろうと思うのだが。。。究極的には途上国援助が実を結び、自立したら、JICAはその役目を終えて解散するというのが理想のはずなんだから。実際には組織維持のために別の目的を見つけて行くんだろうけど。。。
ご意見求む
そんなこんなで改めて以下のソースに目を通している今日この頃
新しい日本のODAマニフェスト
http://www.grips.ac.jp/forum/oda_salon/「21世紀のJICAボランティア事業のあり方」-報告書-
(平成10年10月から平成15年8月まで全8回に渡る検討委員会を実施/平田オリザ、野口健etc )
http://www.jica.go.jp/activities/jocv/outline/data/report01.htmlwiki
http://en.wikipedia.org/wiki/VolunteerPeace Corps
http://www.peacecorps.gov/
posted by May_Say at 21:40|
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